行間の桜

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「桜の頃」
  桜はなるべく冷静に撮影しているつもりだが、迫りくり暗雲や吸い込まれそうな藍色の空に映えるとき、いつしか我を忘れているようだ。  秩父にある一本桜は、その我を忘れたいい例かもしれない。濃紺から一瞬の紫が西の空を染める。
老木のしだれ桜は、そんなことにお構いなく静かに佇んでいる。勝手に焦ったのは私のほうだ。撮影も終わり機材を片付け帰路につく。あたりはすっかり寂しくなり人通りも少ない。喉でも潤そうかと、後ろのポケットに手をやると財布がない。我を忘れ焦る者は、世の東西を問わず、やはり得る物が少ないと相場が決まっているようだ。それが自分とは。
  ふと見ると臨時の交番が見える。ダメもとで訪ねてみると、なんと自分の財布が届けられているではないか。財布は、ほんの数時間の間に少し萎み弱々しく見える。気のせいじゃない。中身を確認するとキャッシュカード、クレジットカード、診察券など全てがそのまま。が驚く間もなく、紙幣はなく落胆。力無く小銭入れも開けみる。すると五円玉が一つ。
  「ほう」この手があったか「ご縁がありますように」なるほど。これも桜が引き合わせる縁なのか、粋なスリは仕事が違う。警察官の口元が一瞬ほころんでみえた

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「父の骨」
  六十一歳で父はこの世を去った。ガンと宣告され一年、あっという間のことだった。最後の正月は兄弟そろって帰郷し、禁止されていた酒を酌み交わした。これも愚かな息子をもった親の宿命だ。副作用のある薬を飲み味覚障害もあったと思うが、久々に揃う家族四人と呑む酒に、美味いを連発していた。結局これが最後の杯となり一月三十日あの世に旅立った。
  火葬場では、いろいろあったいい思い出、悪い思い出すべてと共に煙になり新雪の上に降り注いだ。薬のせいだろうか、それにしても骨が少ない。黒く焼けた火葬台には、ひょろひょろとした小枝が散らばった程度しか残らず、ひろっても崩れ落ちる。なんともこの世に未練のない有様で、あっけにとられるほどだ。
  この年も雪がとけ桜が咲いた。いつものように機材を携え桜を巡る旅に出る。幾つかの老木を収め以前からお目当てにしていた桜に照準を合わせる。しばらくすると微風になり、それにあわせ遠くの田畑から火が放たれた。裸火。枯れた田畑は一気に燃え上がり炎は一気に風下に向かって走る。カメラを抱え移動。迫りくり炎。火は一瞬にして通り過ぎ、そこには立ち枯れた植物の灰が横たわる。これは今年ひろった父の骨だ。おもわず手が伸びる。あたたかくなつかしい。しかし、形は保たれず崩れ風に舞う。全ては装いを変え巡る。そう思った瞬間、一ヶ月後この田畑が一面の緑に包まれ、新しい生命に萌える光景が目に浮かぶ。涙腺に熱いものがこみ上げ涙が灰に落ちる。この年、我が家には長男が生まれ四人家族となった。

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「春雷」
  花に嵐とはよくいったものだ。天気予報の精度が上がるにつれ、このような組み合わせで撮影することも少なくなると思うが、満開になればそうとも言ってられない。はやる気持ちが現場に向かわせる。
  その年も中国地方の山間部に向かっていた。天気予報は雨。東名の浜名湖を過ぎたあたりから空は暗くなりフロントガラスには大粒の雨がたたきつける。風景は濡れ光が流れ去る。以降、現地に着いた日から三日三晩降られた。
  撮影現場に到着した日は音もなくまとわりつく霧雨。二日目は、早朝に一瞬月が見えたがまさしく一瞬。その後は、しとしとと降り続きあたりの緑をいっそう鮮やかにしてくれた。三日目は降っては止みの繰り返し夕刻からは寒さも加わった。そこで腹ごしらえをして明日に全てを賭けようと町に下る。
  しかし、田舎の夜は日没を境に門を閉ざし七時も過ぎれば人通りも絶える。ましてや雨、九時も近いとなればなおさら。食堂などあるはずもない。雨脚はさらに強くなり、それに合わせ空腹は怒りに変貌、車は速度を上げる闇を突き進む。あきらめかけたころ灯りが目に入る。焼肉店だ。
  店内は、いましがたまで客がいたとみえ、曲がった座布団とテーブルに残された皿や割り箸、そして茶碗が会話の残骸よろしく疲れた表情をみせている。店主はといえば煙草をゆらしながら伝統の一戦、巨人阪神戦にすっかり熱くなっている。お品書きをみればえらく安く、カルビ二百五十円、ロース三百円、シロ百円。いったい、いつの時代の値段なんだ。テレビに目をやれば引退したはずの掛布と江川が対戦している。店主はビデオでも鑑賞しているのか。まさかそれに合わせた値付けでもあるまいに。まぁいいではなか、腹一杯いただくことにしよう。なにかにつけ阪神自慢をする店主に相づちを打ちながら、忙しく箸を運ぶ。
  野球は阪神の勝利で幕を閉じ電源が切られる。静まりかえった店内には雨音が忍び寄り遠くに春雷も聞こえはじめた。間が持たないので勘定を告げる。しめて千七百十円、安すぎる。支払いを済ませトイレに貼ってあった八代亜紀にこの店の事情を尋ねたが、微笑むのみで答えてはくれない。外に出ると車と地面が一体化していた。あまりにも強い風と雨で向かいの寺の桜が一気に散り、あたり一面が雪景色と化していたのだ。遠近感が失われる。
  この夜、山に戻ると雷は一段と勢いをまし、満開の巨木に天空を走る稲妻が光を放った。光る場所で順光になれば陽、木の後方で光ればシルエットとになり陰。様々な方向で放たれる光は色彩を帯び、千年の陰陽を一夜にしてみせてくれた。
  翌日快晴。山の桜はなにもなかったように輝いている。大型カメラで一枚決める。あれほどこだわった桜なのに、なぜか撮れた気がしない。それは春雷に打たれ千年の時を駆け抜けみせた桜に人の及ばない世界があることを知らされたからだろう。快晴の桜が虚ろに見えるのもしかたがない。
  帰り道、眩しい光のなか山を下る。すると昨夜の焼肉店が遠くに見えてきた。しだいに近づく店。だが、なにか様子が変だ。スローモーションで迫る車窓に廃墟と化した店が映る。

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「窓」
  みちのくの旅は、いつも懐かしさが残像として記憶されることが多い。古びた駅舎と旧式車両。ゆがんだ窓ガラスと木の引き戸。一級国道や新幹線から見放された町は、ある時から時間が止まったような印象を受ける。  そんな町の小学校脇に大切に保護され愛されている桜の老木がある。その老木は無数の添え木が施され、雪の重みや強風で枝が折れぬよう補強してある。みる者にとっては、添え木が邪魔で美しさが損なわれていると感じるだろう。確かに添え木の多さは、薄墨桜にひけをとらないほど多い。さらにこの老木は巨木とは言い難くこぢんまりしているため、かえって添え木が目立つ結果となっている。そのためライトアップされた姿にも雄壮感や風情はなく、むしろ集中治療室でチューブや電極で蘇生を可能としている患者の姿に重なるものがある。と言っても名の知れた桜の名木であることに変わりはなく、訪れる人がとだえることはない。
  私が訪れた時も藍色に紅が混じる夕空の下、老夫婦が桜の回りに巡らされた木道を歩いていた。いずれの頭髪もすでに白髪となって久しいと見受けられ、それも夕暮れの色に染まっていた。桜をめでながら歩く姿は、どちらが支えるわけでもなく、だからといって離れて歩ようなこともなくお互いを気遣っている。今夜この仲睦まじい老夫婦は、どこに泊まるのだろうか。きっと近くの温泉旅館に宿をとり、人生という旅の疲れをいつもより豪華な夕食で癒すに違いない。
  撮影を終え真っ暗になった駐車場に戻り、ひとり機材を積み込む。すると視界の端、駐車場一番奥にあるワンボックスカーに人影を感じる。若者だろか。いや、よく見ると、驚くことに先の老夫婦ではなか。二人が向かい合うテーブルには、二三品のささやかな夕食が見える。それは旅館の豪華で食べきれない夕食に較べれば質素であることは想像に難くない。しかし、すでに多くを必要としなくなった老夫婦にとって、夕食の豪華さは問題ではないのだろう。むしろ窓に映るその姿は、二人が知り合った時から今日までの日々を幾度も反芻し、思い出を確認しあう至福の晩餐にみえる。それにしてもその姿、もあまりにも美しくほほえましい。車内の小さなテーブルで語らう老夫婦二人だけの時間が、これほど耐え難く美しくいとは今日まで知らなかった。
  機材をしまい終え駐車場を後に走り出した時、ふと、あの老夫婦に「添え木どう思いますか」と、尋ねてみたくなった。と同時に、支え合うことが当たり前になった老夫婦には、支える添え木は見えても語るに足らない存在という思いも浮かぶ。
  そう思えば語るべき思い出とは、記憶に残る出来事の残像ではなく、今日伴侶と交わす言葉に過ぎた時間を楽しむことができる人生を送っているかという自問に辿り着いた。

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